平成10年10月まで分

[図書館][博物館][埋蔵文化財センター]


[10月の特設コーナー]

[特集]地球にやさしく生きる方法
 ”リサイクル””省エネ””環境ホルモン”あちこちで耳にするこの言葉。壊された自然や環境をもとの戻すことはできないけれど、これ以上壊さないためにできることを考えてみませんか。
[児童特集1]はて?なぜ?どうして?からだのふしぎ(体の本)
[児童特集2]エリック・カールの本
 児童の特設コーナーには、毎月ひとりの作家を選んで、コーナーを作っています。今月は『はらぺこあおむし』で世界のこどもたちに大人気のエリック・カール(アメリカの絵本作家)の本を集めました。

[ライブラリーシアター]

図書館では毎週土・日曜日に「土曜シネマ」「日曜こどもシネマ」を開催しています。詳しくはこちらを御覧ください。

[こんな情報をお知らせ下さい]

[近江だるま]かつて能登川町でつくられていた郷土玩具「近江だるま」についての情報があれば博物館までお知らせください。
[伊庭氏]連歌師宗祗の出身氏族でもあり、中世近江の有力豪族伊庭氏についての情報。
「全国の伊庭さん!あなたのメールを待っています。」
[水車]能登川町のシンボルは「水車」です。
全国の水車情報をどうぞよろしく。
[ハリヨ]レートデータバンクに記載された希少動物「ハリヨ」が能登川にいます!!
ハリヨは、湧水に住んで巣を作る魚で豊かな水の恵みの代弁者です。
ハリヨ保護のアイデアをお寄せください。

[資料提供ありがとうございます]
ヒラタクワガタ
藤岡雄一郎君(南小)
ミヤマクワガタ
渡部るりさん(南小)
植物標本
吉田祐君(南小)
他にも、山本奈央子さん(東小)から植物標本をいただきました。

[石田遺跡(山路地先)の発掘調査と出土品の整理作業]

 埋蔵文化財センターでは、駅西区画整理事業に先立つ石田遺跡(山路地先)の発掘 調査と出土品の整理作業をおこなっています。  これまでの調査では、古墳時代の川跡から、たくさんの土器と木製品が出土した り、平安時代の建物跡がいくつか発見されています。  また、現場から持ち帰ってきた、土が付いたままになっている土器や木製品を、て いねいに水洗いをしたところ、木製の農耕具や機織りの道具、弓などめずらしいもの もたくさん発見されました。  これからも調査が続きます。また、貴重な発見があるかもしれませんね。



[日本刀のルーツ発見! 斗西遺跡出土の鋼(はがね)素材]

 斗西(とのにし)遺跡は、神郷から佐野にかけて広がる、県内最大級の古代の遺跡です。これまでの発掘調査で、古墳時代から奈良時代にかけて湖東地方の中心的大集落であることが知られていました。鋼素材が出土したのは、平安時代末〜鎌倉時代初めごろ(約800年前)に埋まった溝で、付近からは同じころの建物跡などが発見されています。

 今回、専門的な科学者の分析によってこれが日本刀など刃物のルーツになる、日本最古級の大変貴重な鋼材であることが判明しました。

 斗西遺跡の南方約300Mには現在も「鍛冶屋村」とよばれる地域(大字佐生・佐野)があり、佐野に小字「鍛冶屋敷」が残されています。この鍛冶屋村の一角にある横受遺跡からは、同じころ鉄を加工していろいろな道具をつくる小鍛冶をおこなった人々の住居跡などが発掘されています。この鋼材もあわせ、古代の鉄製品づくりの様子を知るのに、大変重要な資料であることがわかりました。

 鋼材のあらまし
  ◎出土遺跡  能登川町大字神郷地先 斗西遺跡
  ◎調査年   昭和61〜62年(1986〜1987)
  ◎出土遺構  C区 溝SD13埋土
  ◎遺物の時代 同遺構出土土器より 12世紀末〜13世紀前半
  ◎サイズ・形態および数量
    ・長さ   約18p(それぞれ)
    ・形態   断面長方形で先細りの棒状
    ・数量   8本
    ・現存重量 総量で974 g     

[法堂寺廃寺跡が滋賀県史跡に指定!! 現在、史跡整備工事中(来春オープン)]

能登川町佐野に所在する町史跡法堂寺遺跡(約1.5ha)のうち、発掘調査で、今から約1,300年前に建てられたお寺の遺構が確認された部分(廃寺跡・7,595u)が県の史跡に指定されました。古代寺院跡として県の史跡となったのは、湖東地方では、竜王町の雪野寺跡に次いで2件目です。

 現在、法堂寺廃寺跡の保存と活用をはかるため、平成8年度から法堂寺遺跡整備事業に着手しています。発掘調査や、調査で発見された遺構の復元整備等をおこない、平成11年4月に遺跡公園として開園します。これからの法堂寺廃寺跡は、地域のみなさんの「であい、ふれあい、語りあい」の場として、新たな歴史を刻んでいきます。

[登録文化財に深田家住宅が答申される]

 2月20日に国の文化財保護審議会より、町内の大字能登川所在の深田家住宅(主家・離れ・土蔵)が選ばれ、文部大臣に答申されました。

 母屋は木造2階建てで、昭和4(1929)年完成。切り妻屋根に木骨を見せた真壁(しんかべ)や弁がら格子など伝統的な町屋の外観をしており、2階にはコウモリや亀甲型の下地窓を配した数寄屋風座敷などがある。

[能登川町法堂寺遺跡(廃寺)から「せん仏」発見]

 せん仏は、昨年の夏に実施した法堂寺遺跡(廃寺)の発掘調査で、中門の南西部の瓦溜まりから大量の瓦類とともに出土し、現地調査後から実施した、瓦類の洗浄作業中に破片が発見されました。

 せん仏は、脇侍の腰から膝の部分が残っていました。このようなものは、法隆寺に現存する大型の多尊せん仏(重要文化財 磚製阿弥陀如来及脇侍像)があり、その勢至菩薩(脇侍)の腰から膝の部分とほぼ同じ模様(同原型)です。一部手を加えられおり、また、若干小さいことから、踏み返しをした型から作られたものと思われます。表面の一部黒ずんだ部分からは、漆の痕跡が確認されており、このせん仏の表面には金箔がされていたと考えられます。

 このような大型の多尊せん仏は法隆寺の他、夏見廃寺(三重県)など出土例は非常に少なく貴重な例であり、これらの寺院との間で法堂寺廃寺の造営氏族あるいは、僧侶などが、何らかのつながり(交流)があったことが考えられます。

(用語解説)
[せん仏] 仏像をレリーフした焼き物で、白鳳時代から奈良時代にかけて作られたものです。表面に金箔や銀箔を貼ったり、彩色を施し、金堂や塔の内側の壁面を飾ったり、厨子に納め念持仏としてもちいられたものです。
[踏み返し] 既存のせん仏に粘土を押し当てて型を作り、その型に粘土を押し込んでせん仏をつくる技法。踏み返しをすると元の型よりも焼き縮みの為、若干小さくなり、模様も崩れやすくなります。

[能登川町史跡法堂寺遺跡(廃寺)整備工事実施中]

 能登川町大字佐野に所在する町史跡法堂寺遺跡(約14800u)は、これまでの調査で塔跡・金堂・中門が検出されている、大官大寺式の伽藍配置をした白鳳時代の寺院跡です。

 瓦や鴟尾などの遺物も多量に出土しており、特に、軒瓦類は非常に地方色が濃いもので、国内に類例が無いものもあります。
 現在、能登川町埋蔵文化財センターが、史跡整備工事をおこなっています。完成は平成11年3月の予定で、遺跡公園と都市公園の機能を併せ持った今までの公園とは異なった新しいタイプの公園ができます。

 公園の内容については、今後随時お知らせします。



copyright 1997 能登川町総合文化情報センター