こんもりした亀の形の神郷亀塚古墳(じんごうかめつかこふん)は、地元では「亀山(かめやま)」とよばれ親しまれています。ところが、この山に登ると「マムシに咬(か)まれる」という言い伝えがあって、子どもも大人もめったに登ることはありません。亀山は、乎加(おか)神社の社地として大切にされてきた聖地で、この言い伝えはみだりに人の立ち入りを禁じたものだったようです。
亀山にはもう一つ昔話があって、室町時代はじめ(約650年前)の『三国伝記(さんごくでんき)』という本の中に乎加神社のいわれが記されていて、神社の位置を中国の風水思想(ふうすいしそう)にある四神をかりて語る場面があります。「左に青龍(せいりゅう)の河曲(かまがり)」「右に白虎(びゃっこ)の佐野」「前に朱雀(すざく)の竹林」「後ろに玄武(げんぶ)の亀(一本塚)」と書かれています。「玄武の亀」はまさに亀山のことで、たぶん鎌倉時代にはすでに「亀塚」と呼ばれていたと思われます。
風水思想は古代、いろんなことを決める時の占いのようなもので、桓武天皇(かんむてんのう)が平安京(へいあんきょう)を現在の京都に決めた時もつかったといわれています。亀山もこのあたりを治めた古代豪族(こだいごうぞく)が、長い間大切にしてきたシンボルだったのですね。