私たちの暮らす現代は、まさに文字社会です。新聞や本または日ごろの情報伝達まで、すべて文字によって成り立っています。日本では現在漢字を使いますが、正式に使われ始めたのは、今から約1,500年前の古墳時代後期のことで、仏教が伝えられたのと同じころ中国から導入されたと考えられます。
ところで、能登川町ではいったい、いつごろから文字が使われ始めたのでしょうか。文字のない縄文・弥生時代でも、話し言葉はあったと思われますが、共通の文字はまだ完成しておらず、情報伝達にはさまざまな記号が使われていたようです。
石田遺跡の1,900年前の弥生土器には、表面にヘラでさまざまな記号が書かれた記号土器があります。これらは主に、特定の壷の肩部分にだけ記されることから、まじないなどの目的で刻まれたと考えられます。また次の、古墳時代にはいると土器の大量生産が始まり、製作者がつけたとみられる記号が刻まれます。これは「窯印(かまじるし)」ともよばれ、現代の陶芸家が自分の印を底に押すのと同じ意味合いとみてよいでしょう。
また古代の遺跡からは字の書かれた木簡や墨書(ぼくしょ)土器がみつかり、暮らしの一端を想像することができます。