タイムリー講演会&スポット展示 能登川町立博物館
「謎の鏡 三角縁神獣鏡」
今年の年明け早々、奈良県黒塚古墳より33枚の三角縁神獣鏡が発見されて、大きなニュースとなったことはまだまだ記憶に新しいところです。 ところで、この「三角縁神獣鏡」という鏡が出てくると、すぐに「卑弥呼」や「邪馬台国」の話になるのはどうしてでしょうか。また、この長い名前はどうしてついたのでしょうか。 こんな素朴な疑問にお答えするのが、今回の企画です。
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三角縁神獣鏡ってどういう意味? その形と模様に由来しています。考古資料ではよくあることですが、見たままをズラズラっとそのまま名前にしているのです。「三角縁」とは鏡の縁の形(断面形)が三角形であることを、「神獣」とは模様が[神様]と[獣]からできていることを示しています。 つまり、三角縁神獣鏡とは、「断面三角形の縁を持ち、神様と獣の模様で飾られた鏡」という意味です。 こんなに模様があって鏡の役目が果たせるの? 博物館などで見かける鏡は、鏡というのにゴチャゴチャ模様があって、ものが写るのでしょうか。 実は考古資料としての「鏡」は、鏡本来の目的より、年代の決め手などになる模様や形の方が重要なのです。したがって、展示をしたり本に載せたりするときは、鏡の裏面を主役にするのです。だから本来表となる面は、昔のものもツルっとしていて、現在のものと変わりません。同じように現在の鏡でも、裏には絵が描いてあったり、彫刻がしてあったりします。 どうして、卑弥呼や邪馬台国と関係があるのでしょうか? 『魏志倭人伝』の中に、卑弥呼が魏から鏡百枚をもらったという記述があり、これが三角縁神獣鏡と考えられています。特に、形の特徴や刻まれた年号から、魏の時代の鏡にほぼ間違いがないからです。このため、三角縁神獣鏡鏡が出てくると、卑弥呼や邪馬台国と何らかの関係があったのではないかと騒がれるのです。さらにその後、大和政権がこの鏡を地方の有力豪族に分け与え、その勢力下に取り込んでいったという学説があって、古代国家の形成に強く関係する考古資料としても、注目されるのです。 しかし一方で、三角縁神獣鏡は国産品で、卑弥呼の鏡ではないとする説もあります。 |
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