[宗祗法師][連歌]


そうぎ・ほうし [1421〜1502]

室町時代の連歌師に、宗祗という人がいます。俳句で有名な松尾芭蕉は「西行の和歌における、宗祗の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり」と『笈の小文』に述べているように、宗祗を自分の先を歩いた歌の大先輩として大変に尊敬しています。

能登川・伊庭氏の出身と判明。
宗祗の出生地については、近江説・紀伊説の二つがあり、江戸時代からはなぜか紀伊説が有力となっていました。しかし最近、広島大学名誉教授・文学博士の金子金治郎先生が、宗祗ハ江東ノ地ニ生マレ」と書かれている『種玉宗祗庵主肖像賛』や手紙などをもとにして、その生まれを近江守護・佐々木六角氏の重臣伊庭氏であると考究され、学会でも認められることとなりました。郷土の生ん偉大な文学者・宗祗法師について、いっそうの認識を深めるとともに、顕彰の運動を進めていきたいものです。

連歌は和歌から俳諧へ移る過渡期に生まれた文学で、二人以上の人が一つの歌を作ることを連歌(連句)といいます。室町時代に盛んとなりましたが、江戸時代に入ると、残念なことにさびれてしまいました。そして、俳諧・雑俳(川柳・冠句など)にとって代わられ、宗祗も一般の人々から忘れ去られてしまいました。

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