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西堀榮三郎もの作りすごろくー科学・技術編ー
【2020/04/23~】
西堀榮三郎もの作りすごろく-科学・技術編-
■▲●■▲●西堀さんってどんな人?■▲●■▲●
探検の殿堂が記念している西堀さんですが、一言で「何をした人」かを表すのがとても難しいです。というのも西堀さんは、本当にいろいろな分野に興味と関心を持って、「やったことがない・分からない」と諦めることなく、実際に挑戦して功績をのこした人だからです。
でも、そんな西堀さんの人生に共通するものの一つが「もの作り」でした。
そこで今回は、すごろくで遊びながら西堀さんについて学べる「西堀榮三郎もの作りすごろくー科学・技術編ー」をご用意しました。
いったい、西堀さんはどんなもの作りをしたのか、そこにどんな創意工夫があったのか、すごろくを通してぜひ知ってみてください。
■▲●■▲●よういするもの■▲●■▲●
※のついたものは添付のPDFデータを印刷して使ってね。
- ※印刷した「西堀榮三郎もの作りすごろくー科学・技術編ー」
- 6面サイコロ
■▲●■▲●あそびかた■▲●■▲●
- サイコロをふって、出た数だけすすむ
- 黄色いコマ はアクティブこま。こまに書いてある行動をする
- イラストが描いてある もの作りコマ に止まったら、下にある「西堀榮三郎もの作り」の中から、自分が止まったコマの説明をよむ
■▲●■▲●西堀榮三郎もの作り■▲●■▲●
兄をてつだい、写真のげんぞう液を、ちょうごうする
(何歳ごろ)
写真が好きだったお兄さんの影響で、西堀さんは子供のころから現像液の調合などのお手伝いをしていました。
当時、めずしかった天然色写真(※カラー写真)の現像を手伝っていくうちに、化学的な反応により写真に色がつく仕組みを知り、化学が大好きになりました。子供のころのこうした経験が、技術者をめざすきっかけにもなったのです。
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うす紙で、ねつ気球をとばす
(何歳ごろ)
空を飛ぶものにも興味をそそられた西堀少年。
子供のころには、うすくてかるい紙と、綿にしみこませたアルコールランプをりようして、自分で熱気球を作って飛ばしました。
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天文がすきになり、ぼうえん鏡をてづくりする
(何歳ごろ)
京都大学の天文学教授・山本一清(やまもといっせい)先生との出会いがきっかけで、西堀少年は、中学生の終わりごろには、天文学につよい興味を持つようになりました。
当時、西堀さんのおうちに住み込んでいた書生・中村要(なかむらかなめ)君といっしょに、手製の望遠鏡を作ろうと計画。船のデッキにつかう丸くて分厚いガラスをもらってきて、レンズとして使えるように一生懸命みがきました。
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アメリカから送ってきたオートバイをなおしてのりまわす
(16歳ごろ)
西堀さんが16歳ごろ、お兄さんがアメリカから一台のオートバイを船便でおくってくれました。長い船旅のあいだに、オートバイは塩をかぶってしまい、到着した時にはまったく動かなくなっていました。
しかし、そこであきらめる西堀さんではありません。英語の説明書を片手に、どこがこわれているのかを探りました。そして、三か月後、原因をつきとめた西堀さんは、オートバイをなおして、京都中でのりまわしました。
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一酸化炭素と水素から石油をつくる
(大学2年生のころ)
大学2年生のころ、西堀さんは自分でつくった装置をつかって、ある実験を成功させました。それは、ニッケルという金属に、四つの一酸化炭素をくっつけると、ニッケル・カーボニルという透明の液体に変わってしまうという、むずかしい実験でした。
この成功を知った先生から、「一酸化炭素と水素から石油をつくる」方法がかかれた論文を見せてもらい、これに挑戦。試行錯誤のすえ、石油を作り出すことに成功したのです。
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初の大量生産型 真空管「ソラ」を開発する
(41歳ごろ)
大人になった西堀さんは、京都大学の助教授になりましたが、大学を飛び出して東京電気株式会社(※現東芝)ではたらきはじめました。そこで手がけたのが真空管の発明です。
それまでの日本は、外国が作った真空管を真似をしながら作っていました。そうした中で、西堀さんは「どんな人でも、かんたんに、質のたかい」真空管を作れる方法を開発しました。初めての純国産真空管「ソラ」の誕生です。
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品質管理を日本中に指導してまわる
(47歳ごろ)
東芝をやめた西堀さんは、日本人として初めて品質管理の勉強をして、日本中に教えてまわりました。
当時の日本では、工場でなにかの製品を作ったとしても、その中には、質が低かったり、こわれたりしている不良品が多く含まれていました。そこで、工場で製品が作られる中で、どういう場合に、どういった問題が起きているのかを、きちんと調査して、数値化してグラフにしました※。すると、製品の品質をあげるためには、何が必要か、というのが読み取れるようになって、改善することができます。
さらに西堀さんは、外国の品質管理のやりかたを真似するだけでなく、「誰かにやらされているのではなく、仕事にやりがいやほこりをもって、自分で創意工夫する」という日本人のもつ良さを生かしたやり方を品質管理に取り入れて、みんなに紹介しました。
(※こういうのを、統計学といいます)
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南極で、燃料をはこぶために氷のパイプをつくる
(57歳ごろ)
南極での初代越冬隊長をつとめた西堀さん。もちこめた資材も限られている越冬中には、たくさんの問題が隊員をなやませました。
そのひとつが、外にあるドラム缶から燃料を運んでくる仕事でした。
石油をはこぶ隊員が「ドラム缶と基地をパイプでつなげたらどうだろう?」というアイデアを出したとき、西堀さん以外の隊員は反対しました。なぜなら、パイプになるような材料が基地にはなかったからです。
しかし、西堀さんだけはそのアイデアに賛成しました。パイプがないなら、南極や基地にあるモノで工夫してパイプを作ればいい、というわけです。簡単にはいきませんでしたが、隊員たちと相談するうちに、基地にあった短いパイプと、水、そして包帯で、氷のパイプが作れました。
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ネパール語と日本語の翻訳プログラムをつくる
(80歳ごろ)
長年ネパールと親交のあった西堀さんは、つくばの科学万博に出展したネパールのために、日本語とネパール語の翻訳プログラムをつくり、会場で展示しました。
子供のころから数学が好きで、品質管理の仕事でも統計学を使っていた西堀さんは、80歳を超えたおじいちゃんになってもプログラミングを使いこなしたのです。愛用のポケコン※片手にキーを打つ姿は、「ちょんちょん翁」とよばれました。
※ポケコン…持ち運びできるちいさなコンピュータのこと。
■▲●■▲●あそびおわったら■▲●■▲●
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