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人生これ探検である

西堀の英語の名詞には、「Dr. Etesan E Nishibori」と書かれている。エテサン、のエテは猿のことをいう。外国の技術者や探検家に「エテサン」と呼ばせるためだが、小手先の器用さではなく、創意工夫する器用さを自慢にしていた。そして、寸評めいた批評の中でも本人が納得していたのは「そこにブランコがあれば、必ず乗ってみるやつだ」(新しいことをやる)である。

西堀の人生は、ブランコがあれば乗ってみる探求心と創意工夫の精神から成り立っていた。機械いじりの楽しさが技術畑で身を立てる基礎をつくり、山や海外に向かったことが南極にもつながった。“探(さぐり)検(しらべ)”し、創意工夫しながら“未知を拓いてゆく”人生を楽しんだ。

『生きた知識』というものは、自分で体験することによってしか得る方法はない。実際に手にとって体験した知識は、奥深く広がりをもった知識となり、創造性を育成し、活動の源泉となるものである。

(昭和60年8月17日 第12回野外活動協議会 講演録より)

西堀榮三郎における登山と探検

親族なり家庭なりの庇護の範疇にある子どもが、外の世界へ出て行くとき、それは独り立ちであると同時に、人生の方向を決める重大な契機となることが多い。中学時代の西堀にとってそれは「山」の世界だった。だが、舞台は「山」であっても、そこで西堀が感知したものは「新しい世界」なのだ。

ある人にとっては最初の舞台が「文学」かもしれないし、ある人には「海洋」かもしれない。ここで人生のわかれ道が始まる。最初の舞台のめくるめく感動につき動かされるままに、生涯にわたって追求していくタイプとなるか、最初の舞台で感動した原点たる『未知の領域』を求めてゆくか。西堀は後者であった。西堀にとっては、山も品質管理も原子力も、追求する最奥のものとしては同じことになるのだ。

(「西堀榮三郎における登山と探検」本多勝一・大内尚樹 より抜粋)

 

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