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近江商人とは

教育

近世の教育

庶民教育の場・寺子屋(てらこや)

寺子屋は、室町時代に僧侶が付近の子供を集めて読み書きを教えたのが始まりですが、本格的に普及したのは江戸時代中期以降でした。 寺子屋では僧侶・神官・医者のほか、浪人や百姓・町人で教養ある文人が師匠となり、往来物(初等教科書)を使って授業がおこなわれました。授業内容は読み・書きが中心ですが、商業の盛んな地域ではこれに算術が加わりました。

五個荘での教育活動

五個荘には最盛期に10校の寺子屋があり、次のような特徴がみられました。

開校年代の早さ 全国的にみると、寺子屋の数は天保期(1830~44)以降に急増。
しかし、五個荘では寛永17年(1640)の梅廼舎(うめのや)をはじめ早くから開校し、明治時代の学制施行まで存続しました。
寺子数の多さ 一校あたりの平均寺子数は全国60人・近江40人。これに対して五個荘は110人ときわめて多く、同様に、女子の比率も全国値より高い値でした。
算術普及率の高さ 全国値21%に対して、五個荘では70%の寺子屋で算術の授業をおこなっていました。

これらの特徴からは五個荘の人々の学習意欲の高さが窺えます。そのほか五個荘商人が輩出し、同時に商家へ奉公に出る者も多かったため、読み・書き・算術能力を身につけることが期待されていたと思われます。

近代の教育

すぐれた商人を養成するために、神崎商業学校や淡海女子実務学校が設立されました。

神崎商業学校

近江商人藤井善助などが中心となり、明治40年5月神崎実業学校を開校。明治43年2月に校名を神崎商業学校と改めました。設立の目的は近江商人の養成にあった。昭和23年3月をもって教育活動に幕を下ろしました。

淡海女子実務学校

女子教育の普及・改善を目的に大正8年1月、塚本さと子が77歳のとき、私財を投じて私立淡海女子実務を創立、自ら校長となり女子教育のために全力を傾けました。大正14年には、当時歌人として著名で、女子教育界の第一人者として知られた下田歌子が第2代校長となりました。

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