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近江商人とは

芸術

江戸時代、「士農工商」の身分の最下位とされた商人。しかし、その商人は経済の担い手であると共に芸術の担い手でもありました。
近江は都に近く、近江八景に代表される景勝地や神社仏閣などの旧跡も豊かで、古来より多くの文人墨客が訪れる文化的風土に恵まれていました。また、近江商人自身も、商いを通じて三都などの都市文化に触れ、芸術的素養を高めていきました。寺子屋は、成人後の商人たちにとって俳諧や立花・茶湯といった諸礼を通じた文化サロンとしても賑わっていました。さらに商人たちの教養は、建築や作庭といった住まいや食文化・祭りなどを含めた生活文化全般にわたり、質の高い商人文化を形成しました。
現在、五個荘の各地に残る歴史的な町並みは、こうした商人たちの高い教養と美意識から生み出されたものといえます。

近江商人と京都画壇

京都の画人たちと近江商人とのつながりは古くに遡りますが、特に幕末から明治にかけては、京都の動乱を避け、あるいは食客となって商家に逗留する画人が多くいました。塩川文麟(1808~77)や富岡鉄齋(1836~1924)・竹内栖鳳(1864~1942)などが著名です。また、商家から画業を志す人も多く出ています。五個荘商人野村宇兵衛の子として生まれた野村文挙(1854~1911)は明治の日本画壇に大きな足跡を残しています。同じ五個荘商人塚本定右衛門家に奉公した邨松雲外(1870~1926)は、主人にその画才を認められ、画人として大成しています。

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